或る決意
信じてもらえるまで
或いは信じてもらえなくても
「使える」と思ってもらえるまで
ただひたすら進むしかない
たまに思い出すこと。
2001年、転職活動をしていた頃に面接に行った会社でこう聞かれました。
「あなたは、原発肯定派ですか?否定派ですか?」
1999年の臨界事故がまだみんなの記憶にある頃で、さらにわたしが物理学出身だったからだと思います。
わたしは、「携わるひとがきちんと危険性を認識してシステムを構築すれば安全なはずなので、肯定します」
と答えました。原爆はダメだけど、エネルギーが有効に使えるならそれは素晴らしい科学の進歩じゃないかと、本気で思っていました。
それから10年後にあんなことになるとは、つゆ知らず。
人は、楽をしたがる。少しなら大丈夫と油断をしてしまう。そしてその油断はエスカレートしていく。
それも踏まえて、ものごとの安全性を決めていかないとならないのだなということを学びました。
ちなみに「この質問は採用とは関係ないから」と言われたけど、その面接官は否定派だったので、軽く討論になりました。
その会社には落ちました。会社名すら覚えてないけど、みなとみらいの綺麗なオフィスだったなぁ。
2021年
今年の運勢は1位
何をしても上手くいく
今年選んだ事がその後のあなたを左右する
なのに何も選べない
だから何も進めない
2018年、わたしは大きな決断をした
結果的に、それはわたしの進みたい道ではなかった
たくさんの事を学んだし、考え方も変わった
だけど、心に大きく刻みこまれたのは
「あの選択は失敗だった」
また失敗するんじゃないか、この道は望むところに続いているのか
怖い
年始からずっと感じていたモヤモヤ
とても怖いのだ
もう少し時間をください
そんな時間なんてない
せめぎ合うわたしの中のわたしたち
疲れた
もう疲れたよ
決め打ちしない
相変わらず何がやりたいのか分からずぼんやり中。
でも今朝、決め打ちとか変な覚悟とかしないで色々やってみたらいいんでない?と降ってきたので、少し手と頭を動かそうと思う。
年末年始でぼーっと考えていたこと。
わたしはずーっと
隣の芝生を見て生きてきた。
自分が持つものをちっとも見ようとしないで
隣の芝生を羨んで生きてきた。
誰かに正解をもらうのではなく、自分で正解を探し、間違い、調整をしていく事が大事。
今までの人生でそれが足りなかった。
自分のスタイルや嗜好を無視して、憧れを丸々取り入れて、失敗して、捨てて。
自分をもっとよく見よう。自信のない自分こそが自分。理解し、信頼しよう。
生きてるって
その昔、旦那に
「生きてるってなんだろうね」
と聞かれたので、
「自分が今使える感覚を全部使って感じるってことかなー」
と答えた。
我ながらいい答えだと思った。
失敗すること
失敗したくないから
初めての時はこれでもかというくらい調べる。
事前準備も気合い入れる。
前日からは不安でものすごいブルーになる。
当日は他の事が手につかなくなる。
それでも。
失敗する時はする。
思い切り凹む。
最近、「失敗」とは、「そっちじゃなかった」を知ることが出来る機会なのだと思えるようになった。
失敗が恐怖でしかなかったわたしが、すごい進歩だ。
知りたがりのわたしが、「そっちじゃなかった」を知れる貴重な機会。
そう考えたら「失敗」がとても愛おしくなったよ。