逃げ
昔から、壁に当たると逃げてきた。
小学校、鍵盤がつまらなくてやめた。
中学校、コンクール直前で急に高い音が出なくなり、どれだけ個人レッスンをしてもらってもダメだった。なのに、コンクールが終わった後に文化祭で披露した時は軽く高音が出た。ストレスによる体力低下だった。
高校、部活以外の時間が欲しくなって演劇部を辞めた。また楽器に逃げた。なのにまた辞めた。部活のみんなが羨ましくなって、また戻らせてもらった。
大学、就職したくなくて大学院に進んだ。だけど内容についていけなくなって、そして海外へ研究に行かなければならないのが怖くなって、大学院を辞めた。なのに就職活動はうまくいかなかった。
社会人、習いごとに飽きて、嘘をついて辞めた。たくさん辞めた。
入った劇団も思っていたのと違って辞めた。
子どもの習い事も同じように辞めた。全てわたしの都合だ。
会社を辞めた。もっと自分に相応しい場所があると信じて辞めた。でも行った先は到底稼ぐことはできない場所だった。一年で辞めた。そしてまた前職に戻った。だけど前職は今もひどい現場だ。
いま、家族が鬱陶しくなっている。
辞めたい、辞めたいと思っている。
自分はまた逃げるのだろうか。
時間泥棒
子どもが小さい頃から、「子どもに自分の時間を奪われている」と感じていた。
当たり前だけど、そこらへんに出かけるだけでも段取り通りにいかない。
こっちはこんなにたくさん考えて行動しているのに、この小さい生き物はあっさり崩していく。すごく辛かった。
自分は小さい頃から、待たされる事が大嫌いだった。
今も忘れない。中学の頃、友だち4人で登校しており、待ち合わせではなく団地の中で一番遠かった自分が各お宅に迎えに行くスタイルだったのだけど、割とみんなルーズで、「先行ってて〜」と言われる事が多かった。時計を持っていなかったので「⚪︎時集合」が出来なかったのだ。
ある時、3軒ともフラれて1人トボトボ登校していたのに、遥か後ろで楽しく3人が歩いているのを見た時は、毎日15分早く出ている自分てなんなんだろう。。と虚しくなった。
転職先に入ったばかりの頃、新人だけで展示会のお客様をお手伝いしなけれなならない事があったが、列車の人身事故で大遅刻。お客様の連絡先も同僚の連絡先も分からず、無言遅刻になってしまった。その時のお客様の罵倒と冷たい視線は今も忘れられない。
だから待ち合わせにはいつも30分くらい早めに着くようにしている。
待ち合わせ相手がいつまでも来ないと、すごく不安になるし怒りが込み上げてくる。
子は大きくなっても時間にルーズで、「x分に出る」と決めた時間に出られた試しがない。友だちと待ち合わせをしていてもだ。だからいつも待ち合わせに遅刻する。
なぜこんなに無頓着でいられるのだろう。不思議でならない。
娘を見ていると、昔の自分が悲しむ。とても辛い。。。
わたしの中の図書館
わたしは図書館を構築中。
いろんな知識をコレクションして、
でも何に使うとか「役立てなきゃ」とかではない。
得た知識を役立てるのは惜しまない。
でも役立たなくてもそれもわたしの構成要素。
広く深く。それでいい。それがいい。
まねっこ
前回の記事で「自分がほしい」とか言ってたくせに、なのですが。
鼻歌を歌っていてハッと気づいた。
あ、わたし、「上手く歌いたい」んじゃない。
「こういう風に歌いたい」なんだ。
ちびっ子は大人の模倣から沢山の事を学んでそして自分流にカスタマイズしていく。
遅まきながら、自分にはその「模倣」が必要なんじゃないかと思った。
ふわっとしたまねっこではなく、しっかり観察して模倣していく。
自分を構築していく、遠いと思っていたけど必要な距離、かもしれない。
高望み
色々、高望みし過ぎていたかもしれない。
自分を過大評価そして過小評価していたかもしれない。
ああなりたいこうなりたいは他人のコピー。
そうじゃない、自分がほしい。
というか、他人のコピーは至極「めんどくさい」。
めんどくさくない、楽しいと思える事だけで生きていきたい。